西国巡礼第五番札所
禅 臨済宗 天龍寺派 大圓寺
由緒
人皇八十七代後嵯峨天皇第二皇子佛国広済国師を開基として延慶2年(1309年)春3月に建立されました。
康永2年(1343年)に至り兵火に依り悪しくも焼失するところと成りましたが国師の孫弟子に当たる普明国師が之を惜しみて延文元年(1356年)再建。
然るに不運にも又、明徳元年(1390年)秋9月連日大雨のため美女山西麓の山崩れに遭遇し普明国師再建の堂塔は流失或いは埋没し現地はこの時、仮屋を構え移転した所と謂われています。尚、寺伝には寛文8年(1669年)3月11日に園部藩主小出伊勢守親公卒去位牌を当山仏殿に安置せられ是により格式を進められ(毎年年賀暑寒の三候を窺う)とあります。
本尊
釈迦如来脇立千手観音菩薩
境内佛堂 足利尊氏将軍御寄進薬師堂
(尊氏将軍国師追崇瑠璃光如来を安堵す)とあります。
時代は流れ平穏無事なるも、昭和61年(1986年)12月23日不運にも不慮の失火により、本堂及び庫裡の全てを消失するも当時の現住、宜隆和尚及び檀家一同は是を悼み、区内住民一致団結し浄財寄進と労務提供を惜しみなく募り、復旧に総力を挙げ3年後の平成元年(1989年)4月この時、従来の茅葺屋根の本堂を一新致し瓦葺屋根として本堂と庫裡など全てを再築した。